とある人事の徒然草

東京のとある採用担当のブログ。色んな目線で働くことについて考えます。駅伝、漫画、映画など趣味の話も。

超辛口・就活で絶対落ちるワード

こんにちは。

西尾です。

 

 

こっちのブログではお久しぶりですね。

 

やはり本業で文章を書くことが多くなると、

別の時間でも文章書こうとはなりにくいですね。

 

ただ、思うところも色々と溜まってきたので、年末年始にかけてぼちぼち発散していきます。

 

 

 

さて、今回のテーマは「面接で言ったら絶対に落ちる言葉」です。

 

いやーこれ、知りたい人めっちゃいるのではないでしょうか?

「そんなものあるの?」って人もいるかと思うのですが、

会社とは、人の集合体です。

人の集合体という事は、文化が形成されます。

文化には、当然暗黙の了解が存在し、そこから外れている方はどんなに優秀でも採用には至りません。

 

そして、会社のフロントマンとなる人事や面接を担当する経営者層も当然人であり、それぞれに哲学が存在するため、当然「あ、うちに合わないな」という基準となる言葉が存在するのです。

 

今回は数社の人事の方にもご協力いただき、いくつかの「絶落ワード」とその理由について書いていこうと思います。

 

 

絶落エントリー1・リーダーシップ

まずは僕からです。

他の人のはぼかしますが、まあ自分のモノは良いでしょう。

 

リーダーシップ。

 

うん、まあ以前駅伝とリーダーの話を書きましたが、

「リーダー」になりたいならわかるんです。まだ。

けど、リーダーシップに自信あるって。

 

いやいやいやいや。

 

それ、新人で入ってきてどこで生かすの?

てか「リーダーシップ」ってそもそも何?

成果が出たのって自分のおかげなの?得意ってそういうことだよね?

 

と滝の流れのように煽り文句が浮かんできます。

 

そもそも、「目的」「熱意」「行動力」があって、そこに「相手のことを気遣える」とか「人が支えようと思う魅力がある」みたいな要素がついてきて成立する所謂複合概念

だと思うのですが、多分みんなかっこいいし、注目されたいし、凄いって思われたいんだろうなあって感じで雰囲気で使っているので、こっちからすると地獄です。

 

課題を解決するために医者、殺し屋、プログラマー、ボクサー、芸術家を集め統率し、見事解決しましたみたいな話があってはじめて自称して欲しい。

 

 

絶落エントリー2・成長

お次は本命候補と言えるでしょう「成長」

 

これを嫌う人事は意外と多い。

 

なぜか分かりますか?

 

定義があいまいすぎるから。

前提過ぎてそれを口に出す思考の浅さを露呈しているから。

 

痛烈ですが、その通りですね。

どんな会社で何をしていても、そこに自分なりの意味付けが出来る人は勝手に何か知らの力が付くんですね。

逆に、入るところでその量が変わると思っている時点で学校に通うのと企業で働くことの違いをイマイチ理解できていない証拠かなと。

ただ、この言葉が意味を成す場合があります。

それは「自分の伸ばしたい方向性が明確で、そのための必要な要件を語れること」です。

これが出来るなら、成長が目的ではなく、プロセスの状態変化に過ぎないという理解があるため違う評価になります。

 

ちなみに余談ですが、僕が今の会社で採用された理由の一つが

「成長って、正直どこでなにしても出来ると思っているので正直それを会社に求めてはいないです。成果が出ても成長、出なくて耐えるのも成長。そんなあいまいなもの背負って働きたくないので、ただ興味のあるもの、やりたいこと、求められてるもの、その辺並行して出来ることは増やしていきます。仕事関係なく。」

という小生意気なスタンスが評価されたのだとか。そうじゃなかったとか。

 

 

絶落エントリー3・学びたいです

これも凄く分かれる言葉なんですよねー。

 

うちの会社ではオッケーだったりするんですが、他社さんとかだと結構アウトみたいです。

 

理由として「仕事は学ぶところじゃなくて、アウトプットの成果を求められるところ。」という部分かなと。

それこそ、大手企業とかだと研修制度もしっかりしていて、じっくりと学べるのですが、ベンチャーだと「結果論としてめちゃくちゃ学べる」なので、そこを目的に置くとミスマッチが生まれるんですね。

 

成長にせよ、学びたいにせよ、間違っているわけでは無いものの、目的と過程がすり替わってしまったらアウトって事ですね。

 

どんどんいきます。

 

絶落エントリー4・人が好きです

このタイプが来ると僕の頭を「I like Human...」という言葉がよぎります。

 

このタイプ、十中八九「親切の押し売り」と「自己正義」を使ってくるため、僕の中では要警戒なのですが、一撃で落ちるところもあるみたいです。

 

いっそ「自己承認欲求が強いので、色んな人からありがとうって言われるとめちゃくちゃテンション上がるんですよね。必要とされ続けるために誰よりも成果出します」ぐらい振り切った方が評価高いと思うんですね。

 

人事って毎日「自分をよく見せようとする人」と会うわけですよ。そうすると、その辺りのよくある魅せ方してきても脳内で「あーこのタイプの人はこの側面あるんだよなあ」ってなるわけです。

 

 

絶落エントリー5・アイデア力を生かして

これも一撃で落とす企業多いです。

 

ちょっと考えてもらったら分かるんですが、なんで思いつきで仕事しようとしてんの?って話なんですよ。

この言葉使う大半は仕事をなめてます。

なぜ、世の中であなたが考えているアイデアが簡単に実現していないのかという構造を理解していれば、まずそんなアイデア力がある人が在野にコロコロいるわけないんですよね。

 

「知識が無い分思い切ったことも考えられます。」ぐらいが良いとこでしょうか。。

それでも評価は良くないと思いますけど。

 

 

絶落エントリー6・マイペース

フリーランスになることをおススメします。

これで組織に入ろうって思う人ほんと何考えてるんだろって思うんですよね。

 

これが許されるのは圧倒的な市場価値があって、その人を中心に仕事が回っているときにはじめて何とかなる(それでもあんまり良くは無いけど)のであって、まして他人と共存して社会に価値提供をする中でなぜ自分のペースで仕事が回ると思うんでしょうか。

 

これに関しては正直再起不能なので、仕事って何?みたいなことを考え直すところからお勧めします。

 

 

絶落エントリー7・コミュニケーションスキルに自信がある

企業においてコミュニケーションスキルはどこでも一定は求められるでしょう。

それこそ職場内で理解が違う人がいたら大惨事なので。

 

ではなぜ、このタイプが敬遠されるのか。

 

「コミュニケーションスキルに自信あります!!」って人とコミュニケーション取りたくならないからですね。。。

 

経験則としてこれを言う人の多くは「キャリアセミナーで習ったような頷き方をする」「こっちの話を聞かずに凄い喋る」「なぜかスタンスが凄く外国人」のどれかに当てはまります。

そういうある種の空気の読めなさみたいなものが求められる職種もあるのですが、所謂内勤や法人営業ではまずもって良くないですね。

 

 

絶落エントリー8・定年まで働きます

老舗の中小起業さんや大企業でもその手の人を求めているのが分かっているところなら良いのですが、その他で言ったら「うわぁ時代見れてないなぁ」って思われます。

 

今の企業の平均寿命は約18年で、年々短くなっています。

つまり、どこに入るにせよ、そこに居続けられる確証とか無いんですよ。

同時に、これだけパラレルキャリアだのキャリアアップだのと色々言われている中で、居続けることの価値って何だっけ?ってしっかり分解できているのか疑問です。

 

「何年会社があるか分からないですが、入ってメンバーが良かったら心中するつもりです。ここの考え方と事業内容が自分の人生おいてベストなんです」とかだと良いですね。

 

 

絶落エントリー9・器用なタイプなんで

出来ないことをやってない&勝ちきれないことを良いように言いすぎ。

なんのマウンティングなんだよってなります。

 

この時点で鬼のような自尊心の高さが見えるので組織人としてキツイうえに成果も出せるのか疑問という最悪な発言だったりします。

 

新卒では一定のポテンシャルが認められるから育てればいいか。。というところもありますが、転職でまだ器用なタイプやってるってそれってなんにも出来ないのともはや変わらないじゃんってなるんですよね。

何かしらはプロの基準を持っていろよと。

 

出来ないことを見られたくない人はチームを持てないし、人に教えることも出来ないし、振っちゃいけない仕事も分からないし、どうしようもないというわけです。

 

 

 

 

如何でしたか?

これ以外にも、人事によって「絶落ワード」は違います。

中には結構攻めたところを嫌がる人もいるのでその辺は相性なのですが。。

 

就活、転職を考えている人は是非気を付けてみてください。

知らず知らずのうちにあなたも絶落エントリーしているかも。

 

 

 

それでは。

何で幸福を得るのか

こんにちは。

西尾です。



寒さがそろそろとんでもないことになってきたのですが、誰か夜ふらっとご飯食べに行きませんか。募集中です。




私事なのですが、

先日母校のある京都へと行ってました。

ゼミの討論会があり、ゼミが被ってる最後の後輩たちの披露の場であったため、久しぶりに同期やひとつ下の後輩たちも駆けつけて中々懐かしい気持ちに浸りました。

後輩たちも無事、フロアで優勝し、これで僕らから続く伝統は何とか守られたわけですが、正直なところ、それよりも純粋に後輩たちの努力が報われた姿は代え難く嬉しいものでした。




僕には兄弟がいないので、後輩というものが本当に大好きで、愛情の重い先輩としてよく知られていました。

今でも、ゼミにせよ団体にせよ前職にせよ、後輩たちはそれぞれみんな可愛くて、彼ら彼女らが前に進む姿そのものが、僕自身の何よりの幸せだったりします。



さて、幸せという言葉を使ったのですが、最近本当にこれが幸せで良いんだってことに気がつきまして。


というのも、少し前までは仕事の中でこそ幸せを得なければという想いが強かったのですが、どうにも、どこまで仕事が楽しくて、力が伸びてる実感があっても、どうしようもなく、思い出したら泣けるくらいの幸せとかっていうのは無くて、それは良くないことなのかなぁと思っていたのですが

「いや、ビジネスが絡んでる時点で無欲の善意って無理だわ」

って結論に至り、その辺の難しさも含めて吸収したことを自分の大切な人たちに還元出来れば良いやって考え直しました。



仕事以外にもサブのコミュニティをしっかり持ち続けることで、仕事で学ぶ意味っていうのが即時還元出来て、次はもっと良いものを提供したいとか、役に立てたらっていう思いをしっかり昇華させられて、また仕事をやる意味ってのが自分の中で作れるなと。





今回、京都に帰った時、自分含めて自分たちの代が働くことの楽しさとかを伝えられることが出来なくて、それは先輩としては良くない姿だなぁと反省していました。

自分たちの背中を見ている人がいるということは、今のそれぞれのもがきもしっかり次のステップにして、前に進めないといけないし、ある意味最初にその沼から抜け出した自分がまずは同期含めてその辺りからしっかり次に行けるように引っ張らないとというか、何してても良いから楽しまないとダメだなって思わされたので、ここからまた少しずつみんなで上げていきたいと思います。



そんなわけで、僕の幸福の源である後輩たちに、改めて何かを与えられるように、少しずつまた進んでいきます。というちょっとした決意表明でした。


またぼちぼち書きます。



それでは。

何で幸福を得るのか

こんにちは。

西尾です。



寒さがそろそろとんでもないことになってきたのですが、誰か夜ふらっとご飯食べに行きませんか。募集中です。




私事なのですが、

先日母校のある京都へと行ってました。

ゼミの討論会があり、ゼミが被ってる最後の後輩たちの披露の場であったため、久しぶりに同期やひとつ下の後輩たちも駆けつけて中々懐かしい気持ちに浸りました。

後輩たちも無事、フロアで優勝し、これで僕らから続く伝統は何とか守られたわけですが、正直なところ、それよりも純粋に後輩たちの努力が報われた姿は代え難く嬉しいものでした。




僕には兄弟がいないので、後輩というものが本当に大好きで、愛情の重い先輩としてよく知られていました。

今でも、ゼミにせよ団体にせよ前職にせよ、後輩たちはそれぞれみんな可愛くて、彼ら彼女らが前に進む姿そのものが、僕自身の何よりの幸せだったりします。



さて、幸せという言葉を使ったのですが、最近本当にこれが幸せで良いんだってことに気がつきまして。


というのも、少し前までは仕事の中でこそ幸せを得なければという想いが強かったのですが、どうにも、どこまで仕事が楽しくて、力が伸びてる実感があっても、どうしようもなく、思い出したら泣けるくらいの幸せとかっていうのは無くて、それは良くないことなのかなぁと思っていたのですが

「いや、ビジネスが絡んでる時点で無欲の善意って無理だわ」

って結論に至り、その辺の難しさも含めて吸収したことを自分の大切な人たちに還元出来れば良いやって考え直しました。



仕事以外にもサブのコミュニティをしっかり持ち続けることで、仕事で学ぶ意味っていうのが即時還元出来て、次はもっと良いものを提供したいとか、役に立てたらっていう思いをしっかり昇華させられて、また仕事をやる意味ってのが自分の中で作れるなと。





今回、京都に帰った時、自分含めて自分たちの代が働くことの楽しさとかを伝えられることが出来なくて、それは先輩としては良くない姿だなぁと反省していました。

自分たちの背中を見ている人がいるということは、今のそれぞれのもがきもしっかり次のステップにして、前に進めないといけないし、ある意味最初にその沼から抜け出した自分がまずは同期含めてその辺りからしっかり次に行けるように引っ張らないとというか、何してても良いから楽しまないとダメだなって思わされたので、ここからまた少しずつみんなで上げていきたいと思います。



そんなわけで、僕の幸福の源である後輩たちに、改めて何かを与えられるように、少しずつまた進んでいきます。というちょっとした決意表明でした。


またぼちぼち書きます。



それでは。

得るべくして得るということ

こんにちは。

西尾です。

 

 

最近社員インタビューを改めて整理して、

発信するために文章を作っていたのですが、

なんでこんなにみんな「やりたいこと」が出来ているのか。

ということを考えようと思いました。

 

 

「やりたいこと」

仕事の中でやりたいことなんてできないという人もいれば

仕事はやりたいことをするべきという人もいて

そこは価値観はバラバラでも良いかなと思うのですが、

まあ、どちらかというと仕事でやりたいことをやれている人の方が

まだ少数で、ある種特権階級的な目線で見られているのかなと思います。

 

 

個人的には、やりたいことをやったほうが吸収力もあるので、

「成長したい!」ならやりたいことをした方がいいと思うし、

単純に毎日楽しくしたいという人もやりたいことをやったほうが楽しいだろうし、

やりたくないことをするメリットってたぶん給料が良いとか休みがあるとかの場合かなと思うんですが、やりたいことしてパフォーマンスが上がれば給料も上がるし、休みも取りやすくなるっていうルートは作れるんですよね。

なので、やりたくないことを選ぶメリットって「やりたくないことをしてでも頑張りたくない」っていう場合なのかなと。

それはそれで一貫してて良いと思いますけどね。

 

「やりたいこと」を仕事に出来ている人って、そのポジションを取るために、

色んなやり方や道筋を考えて、やりたいことを掴みに行っているんですよね。

 

就活のシステムとかいろいろ批判されてるけど、

別に一括採用の中でもやりたいこと見つけている人はいるし。

システム批判よりも個々人のスタンスとか考え方の問題なんじゃないかなと。

 

東大にはいきたいけど受験勉強はしたくない

とか、なかなか通用しなくない?って思うし。

その辺は同じなんじゃないかなと。

 

勿論採用者側もどう発信するのかとか、

どうやって見極めるとか考えないといけなくて、

働き方改革もそうだけど、

システムそのものがどうかってよりも、

個人の動き方と、その個人の集合体である組織の動き方が重ならないと、

揚力としてしっかり前に進まないかなと。

 

全然まとまってないのだけど、

なんか最近違う文脈の議論が広がっている気がして、

「ちょっと違うんじゃないかなー」って

つらつら思ったというものでした。

 

 

「やりたいこと」

たぶん、これは「成功」のニアリーイコールなのかなーと。

そう思ったら、そこに向けて頑張ることは必要条件だって思えるのかな。

 

整理してまたしっかり書きたいテーマでした。

 

 

それでは。

冬の享楽は、俯瞰出来ない我が心

こんにちは。

西尾です。



寒さにやられ、眠気が随分と自由勝手に踊る冬にございます。

凍てつく空気が時折指先だけでなく、心の奥底を痺れさせ、なるほど自分は今寂しいという感情なのだと、やけに冷静になったりする、冬にございます。




今回はですね、ふと真面目なことでも書こうかと思いまして。

やや、クサい文になるかもしれませんが、真面目な本音など大凡クサくて恥ずかしいものと相場が決まっておりますので、どうか鼻を摘んでご覧になって下さい。





知ってか知らないでか、私の人生は大変失敗の連続にございます。

何処かの貴婦人が私の人生のお話を聞いた時には「アラマァ、それは随分な失敗で御座いましたのネ」などと口に手をあてて仰ることでしょう。


その私が、何をもって飽きずに真剣なことを考えておりますかと云うと、切れた蜥蜴の尻尾のように頼りのない義憤がウネウネともがいているからに他なりません。




私は暇があれば若いものの人生観を聞き、其の果てしのない彼ら彼女らの可能性を見ては、プラネタリウムに初めて行った時の様なワクワク感で心を満たせているのです。

同時に、この社会というものが想像以上に若いものの可能性を随分と蔑ろにする者が多いということです。

彼ら彼女らの可能性を見て、そこにある希望や、純粋無垢な心を弄び、蹂躙し、ましてやその可能性を壊して「どうだ、社会の厳しさを知ったか」などと痴れ事を吐く邪智暴虐とすら呼べる愚かな人格の者がそこかしこにいるのです。

これはいけません。

これ以上にいけないことなど少ないのでは無いかとすら思うほどいけません。

従来私のような頼りのない者は、可能性ある若者の枠からは蹴飛ばされ追い出されているため、邪智暴虐に出会おうとも「なるほど逃げてしまえ」とそそくさと退散出来るものですが、純粋無垢な若者たちは、「この邪智暴虐に耐えてこそ我々の光はあるのだ」と無謀にも巨悪に立ち向かい身も心もボロボロなった末に立ち上がれないほどに膝を崩されるというような事態になるのです。


また、巨悪の巨悪たる所以は、その悪謀の限りを尽くし蹂躙するだけでなく、巨悪になりうる才のものを見事に引き立て、また新たな巨悪として育てることの出来る悍ましさにあると言えるでしょう。


しかしですね。

しかしですよ。


巨悪なれど、我が身に関わらぬところで踊り狂っているのであれば、まだそんな暗黒舞踏会に近づかなければ良しともなるのですが、至る所で開催される暗黒舞踏会は、我が身に近しき友や若人たちが夜な夜な踊り狂わされているわけでございます。


我が身未だに脆弱なれど

ついでに有難いことに非常に我が脳が馬鹿者であったことが

世の中の邪智暴虐に立ち向かうだけの無謀さを授けている次第でございます。



さて、棒切れ一つで立ち向かったところで指先で粉々にされるのが関の山。



無い頭で導き出されるものは、可能性を引き伸ばす楽園を自らの手で創ることしか方程式にハマらなかったのです。



蒙昧愚かなこの考えに、賛同し、応援するまた馬鹿者が周りに多いことで、蛞蝓のような速度で実現に向けて歩を進めているわけでございます。



踊り狂い倒れる若者のたちを!

全てとは言わん、我が身の周りにいる者たちよ!

小銭で買えるほど安い我が人生と、猫の腹すら膨れぬほどのちっぽけな誇りをかけて、幸福な馬鹿者にしよう!!!

君たちを守り、幸福にすることこそが我が人生である!!!



そして集え馬鹿者よ!!

君たちの命が煌々と燃え盛る場を創り上げるのだ!!!!









冬は悪ふざけをしたくなる。

上の小話が、魔が囁いのか、本心かのかは闇の中。


ミラノ風ドリアが冷めてしまった。








それでは。

給食が怖かった話

こんにちは。

西尾です。

 

 

一人暮らしをして6年以上。

料理を作れない僕は多くの食事をコンビニで賄っているのですが、

コンビニ飯、良いですよね。

食べるってより、補給って感じがして。

 

 

今ではコンビニ弁当で何とか毎日の飢えを凌いでいるのですが、

一人暮らしするまではコンビニ弁当などほぼ食べたことがありませんでした。

母はもちろん、祖母も家にいたのでコンビニ弁当は

何か邪悪な下物が紛れ込んでいるような存在として扱われており、

なかなか食せるものではありませんでした。

 

 

そんな幼少期を過ごしていた時、

はじめて毎日外のものを食べるようになったことがあります。

そう。

給食です。

 

昨今給食の問題が世間をにぎわせていますが、

僕も味や諸々の理由で給食は苦手でした。

ただ、給食が苦手になるのには決定的な理由があるのです。

 

 

皆さんは、「せいかつ」という科目をご存知でしょうか。

小学校低学年にある理科と社会の基礎が混ざったような科目です。

 

そこで小2の頃の授業で先生が

「食べたものは栄養となってみんなの骨や血になって、からだを作ります」

というようなことを言っていました。

 

 

いやいやいやいやいやいや

 

給食、やばくない???????????

 

みんな同じ人間になるじゃん。

 

 

僕はそれから給食を食べるのが嫌になり、

先生に怒られたときにその旨をお伝えしたところ、

「みんな一緒になるわけないでしょ!!!!!!」

とさらに怒られました。

 

 

なんでだよ!

意味わかんねえよ!

なるだろ!血や肉や骨に!

言ってただろ!

 

 

社会の理不尽さを味わい、

同時に給食に対してどうしても警戒心が解けませんでした。

上級生になって

「理屈はどうあれ同じ人間にはならねーよな。なんとなく」

とは思っていたものの、何か給食に得体のしれない不気味さを感じ、

結局卒業まで苦手なまま。

 

 

皮肉なもので、

「みんなと同じものを食べる」ことを怖がっていた少年は

「全国共通のもの」を6年も食べ続けているわけで、

尚且つ今では人とご飯を食べることが好きになっているのだから

人生は分からない。

 

 

今は怖がっているものでも、

蓋を開けてみたら案外大したことが無かったりするもんだから、

思い込みで、決めつけると良くないってことですね。

。。まぁコンビニ弁当を食べ続けていることが良いとは思わないけど。

 

 

(無理やり繋げると)

職種や業種、向いている向いていないなんていう思い込みも

飛び込んでみたら本当に合っているものは違うかもしれないですよ。

「給食」というシステムが苦手だっただけで、

要素分解された「人と食べる」ということについては好きだったりとか、

そんな感じです。

 

 

 

ところで、そろそろ自動で飯作ってくれる機械は出ないの?

 

 

 

それでは。

リーダーっていうけどお前は何区を走るつもりなんだ

こんにちは。

西尾です。

 

 

全日本大学駅伝神奈川大学が優勝という形で終わり、

ますます混戦が予想される箱根駅伝

いや~楽しみですね~~

 

ところで最近、「リーダー」について考えたことがあります。

 

「リーダー」

 

みんなを引っ張り、目標達成に導く人の名前ですね。

憧れる人も多いのではないでしょうか。

 

まあ、憧れるのは良い。

良いんだけど

 

 

で、何区を走るつもりなの?

 

 

え?

いやいやそうでしょ。

リーダーって言ったら

箱根駅伝のキャプテンを想像するでしょ。

え?しない?

 

はぁ~~~~~~~~~~

 

だからリーダーが務まらないんですよ。

だから憧れを「自分のなれる像」と勘違いして意味不明なことするんですよ。

 

せっかくなので、

今回は箱根駅伝区間別リーダー像の違い

について書いていこうかと思います。

 

 

箱根駅伝を目指すのは関東の大学の陸上部ですが、

当然そこには毎年キャプテンが存在します。

そのキャプテンはそれぞれ「優勝」や「シード権獲得」を目標に

チームを引っ張っていく役割を求められるのですが、

彼らの特徴は私生活だけでなく、

本番の区間でもかなりその役割やキャラクターの差が明確になります。

 

 

1.一区型キャプテン

レースの大事な流れを決める一区。

ここで有力校から差をつけられると目標達成は一気に厳しくなることから

この区間には絶対失敗できない区間として、重要なメンバーを置く学校が多いです。

責任感があり、背中で引っ張ってきたキャプテンにやって欲しいと

「口火を切って、チームの流れを安定させるリーダー」

として配置されます。

金森寛人拓殖大小森コーポレーション

中村匠吾駒澤大富士通

横手健(明治大-富士通

大迫傑(早稲田大-NIKE ORPJT)

など、冷静な駆け引きとラストスパートの気力がある選手が

一区型キャプテンの特徴です。

 

2.二区型キャプテン

花の二区。

言わずと知れたエース区間で、

「エース兼リーダー」

であるのがこの区間のキャプテンです。

この区間の場合は、キャプテンとしてというよりは

元々エースとしてチームから信頼を置かれているからキャプテンになる

という逆説的にキャプテンになることが多いので、

エースとしての強さを求められます。

丸和(東農大-トヨタ自動車

米沢類青学大中国電力

高橋裕帝京大大塚製薬

寺田夏生國學院大JR東日本

服部勇馬東洋大トヨタ自動車

その多くは箱根を4年間走り、エースとして、キャプテンとして

チームを担い続けた力強さをその背中に見ることが出来ます。

 

3.三区型キャプテン

スピードエースが多く出場するこの区間のキャプテンは

「キャプテンには一番気持ちよく得意な区間で」

とチームに後押しされて走る場合か

「この区間で一気に差をつける決め手として」

とエースをあえてここで使う場合の2パターンが多いです。

自分が勝負を決めるんだという強い決意と

自分の武器でチームに貢献するという鋭さ

を持ったキャプテンが多く配置されます。

井上大仁山梨学大MHPS長崎)

竹澤健介(早稲田大-住友電工

藤本拓(国士館大-トヨタ自動車

佐藤佑輔(日本大-富士通

個人レースでも結果を残してきた選手が多いので、

一人の選手としての意地やプライドが強いのも

この区間のキャプテンの特徴です。

 

4.四区型キャプテン

往路の難コース四区。

五区の区間距離変更の影響を受け、短くなったり長くなったりと

特徴もその時代ごとに変化するのですが、

「奇策としてのキャプテン」

がこの区間のキャプテンの配置の仕方です。

細かいアップダウンも多く、

失速の恐れもあるため、近年では

「安定感のあるリーダー」

をここに配置することも増えています。

西村知修帝京大-ヤクルト)

藤田敦史(駒沢大-富士通

宇田朋史拓殖大-競技引退)

セルナルド祐慈創価大-競技引退)

 

5.五区型キャプテン

個人的にこの区間のキャプテンは

「責任感と強さと覚悟を持ったリーダー」

チームのために自ら志願して、

箱根最大の難コースを乗り越え、

チームの目標達成のために導くという

まさに「チームのためのリーダー」

柏原さんや神野くんのような「山の神」は

どちらかというと二区型キャプテンの方が近いので

やや例外ですが。。。

実際この区間はキャプテンが走ることがかなり多い印象です。

駒野亮太(早稲田大-競技引退)

安西秀幸駒澤大富士通

服部翔大日体大-Honda)

設楽啓太東洋大日立物流

大石港与(中央大-トヨタ自動車

責任感、粘り、根性、覚悟、強さ。

献身的なチームへの愛が強いキャプテンが多いのも特徴でしょう。

 

6.六区型キャプテン

あまり多くは無いのですが、

「本番はしっかり自分の一番得意な武器で貢献」

とキャプテン業と区間での走りは別物とする人が多い印象です。

山下りのスペシャリスト区間なので、

秘密兵器型の人が多く、キャプテンがあえて走る

というケースは極めて稀です。

代田修平(中央大-カネボウ

田子祐輝(法政大-競技引退)

 

7.七区型キャプテン

10人選手をそろえることが難しいようなチームは

この区間に走力の低い選手を配置する一方で

有力校は最後の一手としてエース級を配置して

とどめを刺しにくる区間です。

キャプテンが使われることは少なく、

傾向としてはシード権獲得を目指すようなチームが

「守り抜くためのキャプテン」を配置する傾向にあるようです。

川村駿吾青学大-プレス工業)

渡辺力将(上武大-NTT西日本

 

8.八区型キャプテン

いぶし銀光る区間

この区間は五区のリザーブの選手が多く、

キャプテン候補がこの区間を経て五区に挑戦する

というケースをよく見ることが出来ます。

4年生で走る場合はどちらかというと副キャプテンが多く、

キャプテンで走っているのは順天堂の難波祐樹さん

が強烈な印象を残した以外は少ないかもしれません。

 

難波さんは当時優勝候補であった順天堂のキャプテンとして

チームをまとめ、襷を貰う時点では二位と3分近い差で出走する

まさにあとは一位のまま運びキャプテンの仕事を終えるのみでした。

しかし、脱水症状を起こして大失速。区間最下位で意識の無いまま襷を渡します。

レース後運ばれるときも朦朧とした状態で「襷は、襷は」と言い続け、

当時次のキャプテンが決まっていた元祖山の神・今井選手が涙を流しながら

「難波さん!繋がりました!襷は繋がりましたよ!」っと手を握るシーンは

正月のお茶の間に涙を呼びました。

翌年、キャプテンとなった今井選手は山の神として区間新記録。

チームは総合優勝を果たし、難波選手が繋いだ襷は一年越しにトップで

ゴールテープを切ることになったのでした。

 

9.九区型キャプテン

個人的にキャプテンのイメージがこの区間にもあったのですが、

印象的なキャプテンが多いだけで、数自体はそこまで多くないみたいです。

復路のエースが起用されるこの区間では

「オールラウンダーなキャプテン」

が起用されることが多く、

様々な場面に対応して力を使える

安定感と賢さと勇気のあるリーダー

この区間に配置されています。

窪田忍駒澤大トヨタ自動車

林祐介駒澤大トヨタ自動車

藤川拓也青学大中国電力

伊東一行(城西大-JR東日本

それぞれシーンは違いますが、

この区間のキャプテンもまた、

チームを背負った走りが印象的ですね。

 

10.十区型キャプテン

五区同様やはり締めの区間はキャプテンが多いようです。

 

「やはり最後はこの人にゴールテープを」

と各監督やチームメイトが花道としてキャプテンに

走ってもらうというケースが多く。

「チームを支えた功労者に」

と走力ではメンバー争いから厳しくても、

キャプテンの底力に期待して配置するケースや、

他の区間を走れる選手でも、ゴールテープを切らせるために

ここに配置させることもあります。

この区間で最終順位が決まるので、

「皆の想いを運ぶ

という意識の強いリーダーがこの区間を任されるため、

人望も厚い人が多い印象です。

出岐雄大青学大中電工

鎧坂哲哉(明治大-旭化成

中島賢士(早稲田大-九電工

安藤悠哉青学大-競技引退)

 

 

他にも、サポートに回ったキャプテンたちも多くおり、

選手として表舞台に立てなくても、チームを支え

優勝に導いたキャプテンも少なくありません。

 

長くなりました。

 

 

これ、ふざけているようで結構真剣な記事です。

そのチームにおいて自分がどんな役割でチームを導くのか。

なぜ、自分がリーダーをやる意味があるのか。

そこを考えなければはっきり言って迷惑にすらなります。

特に、寝坊、遅刻、だらしない、思ったことを言えないなど

私生活の面で前に立てない人は何が起きてもリーダーをすべきではないです。

もはやそれは自己承認のためにチームを使う悪行と言っても過言ではないでしょう。

 

 

大前提をこなし、

そのうえで自分を上手く活用したリーダーとして、いちメンバーとして

パフォーマンスを発揮することがチームを目標達成に導くでしょう。

 

 

 

今年の箱根も各チームにキャプテンがいます。

彼らがどのような姿で新年の舞台に立つのか今から楽しみですね。

 

 

それでは。