何で幸福を得るのか
こんにちは。
西尾です。
寒さがそろそろとんでもないことになってきたのですが、誰か夜ふらっとご飯食べに行きませんか。募集中です。
私事なのですが、
先日母校のある京都へと行ってました。
ゼミの討論会があり、ゼミが被ってる最後の後輩たちの披露の場であったため、久しぶりに同期やひとつ下の後輩たちも駆けつけて中々懐かしい気持ちに浸りました。
後輩たちも無事、フロアで優勝し、これで僕らから続く伝統は何とか守られたわけですが、正直なところ、それよりも純粋に後輩たちの努力が報われた姿は代え難く嬉しいものでした。
僕には兄弟がいないので、後輩というものが本当に大好きで、愛情の重い先輩としてよく知られていました。
今でも、ゼミにせよ団体にせよ前職にせよ、後輩たちはそれぞれみんな可愛くて、彼ら彼女らが前に進む姿そのものが、僕自身の何よりの幸せだったりします。
さて、幸せという言葉を使ったのですが、最近本当にこれが幸せで良いんだってことに気がつきまして。
というのも、少し前までは仕事の中でこそ幸せを得なければという想いが強かったのですが、どうにも、どこまで仕事が楽しくて、力が伸びてる実感があっても、どうしようもなく、思い出したら泣けるくらいの幸せとかっていうのは無くて、それは良くないことなのかなぁと思っていたのですが
「いや、ビジネスが絡んでる時点で無欲の善意って無理だわ」
って結論に至り、その辺の難しさも含めて吸収したことを自分の大切な人たちに還元出来れば良いやって考え直しました。
仕事以外にもサブのコミュニティをしっかり持ち続けることで、仕事で学ぶ意味っていうのが即時還元出来て、次はもっと良いものを提供したいとか、役に立てたらっていう思いをしっかり昇華させられて、また仕事をやる意味ってのが自分の中で作れるなと。
今回、京都に帰った時、自分含めて自分たちの代が働くことの楽しさとかを伝えられることが出来なくて、それは先輩としては良くない姿だなぁと反省していました。
自分たちの背中を見ている人がいるということは、今のそれぞれのもがきもしっかり次のステップにして、前に進めないといけないし、ある意味最初にその沼から抜け出した自分がまずは同期含めてその辺りからしっかり次に行けるように引っ張らないとというか、何してても良いから楽しまないとダメだなって思わされたので、ここからまた少しずつみんなで上げていきたいと思います。
そんなわけで、僕の幸福の源である後輩たちに、改めて何かを与えられるように、少しずつまた進んでいきます。というちょっとした決意表明でした。
またぼちぼち書きます。
それでは。