冬の享楽は、俯瞰出来ない我が心
こんにちは。
西尾です。
寒さにやられ、眠気が随分と自由勝手に踊る冬にございます。
凍てつく空気が時折指先だけでなく、心の奥底を痺れさせ、なるほど自分は今寂しいという感情なのだと、やけに冷静になったりする、冬にございます。
今回はですね、ふと真面目なことでも書こうかと思いまして。
やや、クサい文になるかもしれませんが、真面目な本音など大凡クサくて恥ずかしいものと相場が決まっておりますので、どうか鼻を摘んでご覧になって下さい。
知ってか知らないでか、私の人生は大変失敗の連続にございます。
何処かの貴婦人が私の人生のお話を聞いた時には「アラマァ、それは随分な失敗で御座いましたのネ」などと口に手をあてて仰ることでしょう。
その私が、何をもって飽きずに真剣なことを考えておりますかと云うと、切れた蜥蜴の尻尾のように頼りのない義憤がウネウネともがいているからに他なりません。
私は暇があれば若いものの人生観を聞き、其の果てしのない彼ら彼女らの可能性を見ては、プラネタリウムに初めて行った時の様なワクワク感で心を満たせているのです。
同時に、この社会というものが想像以上に若いものの可能性を随分と蔑ろにする者が多いということです。
彼ら彼女らの可能性を見て、そこにある希望や、純粋無垢な心を弄び、蹂躙し、ましてやその可能性を壊して「どうだ、社会の厳しさを知ったか」などと痴れ事を吐く邪智暴虐とすら呼べる愚かな人格の者がそこかしこにいるのです。
これはいけません。
これ以上にいけないことなど少ないのでは無いかとすら思うほどいけません。
従来私のような頼りのない者は、可能性ある若者の枠からは蹴飛ばされ追い出されているため、邪智暴虐に出会おうとも「なるほど逃げてしまえ」とそそくさと退散出来るものですが、純粋無垢な若者たちは、「この邪智暴虐に耐えてこそ我々の光はあるのだ」と無謀にも巨悪に立ち向かい身も心もボロボロなった末に立ち上がれないほどに膝を崩されるというような事態になるのです。
また、巨悪の巨悪たる所以は、その悪謀の限りを尽くし蹂躙するだけでなく、巨悪になりうる才のものを見事に引き立て、また新たな巨悪として育てることの出来る悍ましさにあると言えるでしょう。
しかしですね。
しかしですよ。
巨悪なれど、我が身に関わらぬところで踊り狂っているのであれば、まだそんな暗黒舞踏会に近づかなければ良しともなるのですが、至る所で開催される暗黒舞踏会は、我が身に近しき友や若人たちが夜な夜な踊り狂わされているわけでございます。
我が身未だに脆弱なれど
ついでに有難いことに非常に我が脳が馬鹿者であったことが
世の中の邪智暴虐に立ち向かうだけの無謀さを授けている次第でございます。
さて、棒切れ一つで立ち向かったところで指先で粉々にされるのが関の山。
無い頭で導き出されるものは、可能性を引き伸ばす楽園を自らの手で創ることしか方程式にハマらなかったのです。
蒙昧愚かなこの考えに、賛同し、応援するまた馬鹿者が周りに多いことで、蛞蝓のような速度で実現に向けて歩を進めているわけでございます。
踊り狂い倒れる若者のたちを!
全てとは言わん、我が身の周りにいる者たちよ!
小銭で買えるほど安い我が人生と、猫の腹すら膨れぬほどのちっぽけな誇りをかけて、幸福な馬鹿者にしよう!!!
君たちを守り、幸福にすることこそが我が人生である!!!
そして集え馬鹿者よ!!
君たちの命が煌々と燃え盛る場を創り上げるのだ!!!!
冬は悪ふざけをしたくなる。
上の小話が、魔が囁いのか、本心かのかは闇の中。
ミラノ風ドリアが冷めてしまった。
それでは。